フランスで国際派ヘア・スタイリストとして修行中のYutaくん、日本に凱旋帰国です

フランスで国際派ヘア・スタイリストとして修行中のYutaくん、日本に凱旋帰国です

Yutaくんが日本に帰ってきています!

パリのヘアサロンでセレブ御用達のハイブランド Maison John Nollet Paris(メゾン・ジョン・ノレ・パリ)のカリスマオーナーのJohnに認められ、チームの正式メンバーとして契約を交わしてもらったとのこと!そのための新しいビザの申請で帰国したんですって。

フランスの美容室事情が全く分からない私にも、Yutaくんがどれくらいすごい仕事を取りつけてきたかは容易に想像できます。

フランス・パリでヘアスタイリストとして活躍するYutaくん

Yutaくんは、イングリッシュ・マスターズでは英語の講師をしていました。

中高生が中心の文法クラスTERAKOYAで一番若手の先生として人気を博していました。

当時の彼は、北生駒駅前の美容院アレス(ALLES)で美容師として働いていたのですが、休みの日を利用して当校の仕事にも関わってくれていたのです。外大を卒業して英語が堪能な美容師のダブルワークでした。

1年前に※ワーホリを取得して日本から旅立ったYutaくん、ほとんど知らない土地だったフランス・パリで、たった1年の間にどんな活躍ぶりだったのかを聞いてみたいと思いました。ついでに、彼がこれまで日本でどんな経験をしてパリでの仕事にたどり着いたのかについても興味がふつふつと湧いてきました。

※ワーホリ:ワーキング・ホリデー制度、二国・地域間の取決め等に基づき、各々の国・地域が、相手国・地域の青少年に対し、休暇目的の入国及び滞在期間中における旅行・滞在資金を補うための付随的な就労を認める制度です。各々の国・地域が、その文化や一般的な生活様式を理解する機会を相手国・地域の青少年に対して提供し、二国・地域間の相互理解を深めることを趣旨とします。(外務省ワーキング・ホリデー制度より)

美容師になりたい――子どもの頃から抱いていた夢

小学生時代のYutaはバスケ一筋、地元のクラブチームと学校の部活、高校卒業までずっとバスケ少年でした。

でもその頃から、彼には全く違うもう一つの興味が芽を出し始めていたのです。

それは「美容師になりたい」という気持ちです。しかも海外で修業して国際的に活躍するヘア・スタイリストになりたいのです。

その気持ち、お母さんに「さんぱつやさん」じゃない美容院に初めて連れて行ってもらって、かっこいいヘア・スタイリストのお兄さんにヘアカットをしてもらった時からだったのか、今となっては定かではないのですが・・・

なので、高2の冬には級友たちが志望大学の絞り込みに目の色を変え始めているのを尻目に、自分は美容専門学校に行くから関係ない、と思ってのんびりしていたそうです。

でもご両親からは、彼が美容師の夢を実現するのは反対しないとしても、せめて4年制大学を卒業してからにしてほしい、という強い要望が有ったそうで、彼はその気持を理解し、あわてて軌道修正に取り掛かることにしたのですが、すでにこの時点で彼は受験勉強のスタート時期を大幅に出遅れてしまっていました。かなりやばいです。

受験先をどこの大学にしようか?まずはそこからです。

本命は「世界に羽ばたくヘア・スタイリストになること」です。そこはブレないぞ。でも大学に行くのなら・・・そうだ、外国でコミュニケーションに困らないように外国語を学習するチャンスだ、外国語大学に絞りこもう!

実はその頃のYutaくんは、英語の成績はあまりパッとしなかったとか。

でももう他の選択肢はありませんでした。今から頑張れば「指定校推薦」の枠が取れるかもしれない、ということが現実味を帯びてきたこともあって、彼は「京都外国語大学」を自分の目標大学に掲げることにしたのです。

ただ、この時点ではまだ、英語は特に好きな科目でもなく、あくまでも大学の切符を手に入れる手段として冷めた見方をしていたんですって。それって、もともと英語が大好きでこの大学を最初から狙いたかった同級生にすればとんでもない話ですが。

でも、その後の彼の人生に絶大な影響力を及ぼしていく英語との関わりが、当初はこんな唐突な状況から始まっていました。

さて、高2の冬の実力模試がなんともお粗末な成績だった彼は、ここから一念発起、強靭な集中力を発揮して猛然と英語を勉強し始めます。

それが功を奏して、高3の春先の模試、英語の得点がなんと、校内3位に躍り出ます。

そしてこの好成績を出発点として、たった半年ほどの受験勉強で彼は狙い通りに京都外国語大学の指定校推薦枠を勝ち取ることができたのです。すごいじゃないですか!?

この人の「思い立ったらまっしぐら」という気質と瞬発力のすごさは、これから何度も目にすることになりますが、この短期間に彼は英検2級の合格も手に入れたのですから、1年前の彼自身と比べたらもうすでに別人です。

美容師になるための第一歩

さて、彼の本命の「美容師になるための準備計画」ですが、高3の1月、学校でアルバイトが解禁になってすぐ、彼は雇ってもらえる近所の美容院を片っぱしから探し始めました。美容師の勉強をスタートしなければ、という気持ちです。

でも、美容師免許を持っているわけでも専門学校に通ってるわけでもなく、全くのド素人の彼に、たとえ下働きでも気持ちよく迎え入れてくれるお店がそうざらにあるはずはありません。

Yutaくんはタダ働きでも良いつもりでドアを叩いたというのですが、相手にされないお店が何軒も続いた中で、唯一耳を傾けてくれたお店がありました。

それが北生駒駅前のアレス(ALLES)というヘアサロンです。(※ちなみにこちらのサロン、当校からは月2回ネイティブ講師を派遣して、サロン内のスタッフの皆さんの英会話クラスを引き受けています。)

ここには小学校の頃にはじめて彼の髪をカットしてくれた「かっこいいお兄さん」のShogoさんがベテランになってバリバリ仕事しておられました。フラッと訪ねてきたYutaくんを覚えてくれていて、びっくりしながらも話を店のオーナーであるRockyさんに取り継いでくれました。

Yutaくんは自分が今までずっと抱いてきた美容師になりたい気持ち、そのスキルを持って海外に出たいという目標を持っていることをRockyさんに切々と話したそうです。

長い間じっくり話を聞いてくれたRockyさんは、その日のうちに、Yutaくんをバイトとして採用してあげる、と約束してくれました。彼は大喜びです。何なら大学行きの切符よりうれしかったかもしれません。

もちろん、美容師免許がない彼はお客様に施術はできません。それでもプロのスタイリストさんたちが行き交う華やかなサロンの中やお客様の目に触れない仕事場にも、仕事仲間として受け入れてもらって週に数回出入りさせてもらえることは、彼が長年夢に描いてきた世界です。

仕事はあくまでも掃除、洗濯、器具の洗浄など簡易的な作業がやっと、というレベルだったそうですが、閉店後に行われる勉強会にも参加させてもらい、アシスタントとしてのシャンプー・ヘアカラーの技術などもすでに教えてもらい始めていたというのですから、彼の美容師になるための本格的な第一歩はここから、ということになると思います。

大学で出会った英語の恩師

さて一方、外国語を学ぶ専門大学に入学した彼は、4年間のキャンパスライフをどう過ごしたのでしょうか?

晴れて大学生にはなったものの、周囲を見渡すと英語はもちろんのこと、様々な外国語を操る学生が当然のごとく行き交う華やかなキャンパスに立ち、俄かに焦燥感にかられたそうです。

自分以外の学生たちはすでに英語が元々良くできるヒトたちが多いのはもちろん、外国生活の経験がすでに有ったり、何カ国語も精通していたり、外国から研究目的で来ている。自分はまだ何者でもなく何も持たず、高校の英語のにわか成績だけでこの場所にやって来られたけれど、その英語をここでどう進化させたらいいのかもわからない。

何とかしなければ、とYutaくんは、入学生のためのオリエンテーションで出会った1学年上の先輩学生に、自分はこれからこの大学の4年間で海外に出ても通用する英語を話せるようになりたい、そのためにはどんなコースやクラスを選択するべきなのか、どんな先生に出会うべきなのか教えてほしい、と単刀直入に尋ねたのです。

するとその先輩が「倉田誠先生という教授がいるよ」と教えてくれたそうです。

そして、この倉田誠先生との出会いが、彼と英語との関わり方を劇的に変えることになりました。

この先生、実は学外でも著名な教授、大学では長年にわたり、英語の応用言語学や実践的運用能力に関わる授業を幅広く担当しておられ、特に発音指導や実践英語教育は口コミでも繰り返し高い評価を得ておられるのですが、いいかげんな態度や受講のしかたの学生には厳しいことで有名です。テストもこまめに実施、出席率や発言力もしっかり求められる、たいへん辛口の先生なのです。

でも当時のYutaくんにとっては、全く回り道せずにこの大学で英語力を最大限伸ばすために必要なキーパーソンにたどり着けたのです。

この倉田先生は、彼に英語の魅力と本質をダイレクトに見せてくれた唯一無二の恩師であり、その後の大学生活を決定づける本当にラッキーな出会いになったのだそうです。

Yutaくん、倉田先生のふだんの授業はもちろん、特別な勉強会も欠かさず出席し、教卓の前の席を陣取って先生が教える全てを聞き漏らすまい、と必死だったそうです。当然ながらゼミの専攻も倉田先生でした。

また、学内でも積極的に留学生のグループの中に身を置き、日常使う言葉が英語になる環境を作りました。

彼は倉田教授の指導のおかげでぐんぐんと英語力を引き上げていきます。

例えばTOEICのスコアでもその進歩の度合が明確に見て取れますが、入学時のスコアが425点、それが1学期終了時には625点、大学2年に入って700点を超えるようになり、2年の終わりには925点に到達していたというのですから、これは飛躍的な進歩です。

大学と美容専門学校、そしてコロナ禍

2020年、大学3年目は彼にとっても特筆すべき年になりました。一つには世界的なコロナ禍の幕開けの年であったこと、彼は将来の設計図の通り、大学1年の秋に大学から近い美容専門学校に入学し、こちらも順調にスタートしていました。いわゆるダブルスクールです。

ところが忌まわしいCOVID19が世界を席巻していきます。

彼の計算し尽くしたスケジュールも大きく影響を受けてしまいます。

Yutaくんは、大学3年から1年間、美容学校は休学してカナダに語学留学しようと思っていましたが、まずこの語学留学が叶わなくなってしまいました。仕方なくここでもう一度設計図を修正します。

大学4年の秋に美容専門学校を卒業し、国家試験を受けて美容師免許を取得する。

国家試験を終えて晴れて美容師免許を取得したYutaくんは2021年10月、一度フランス・パリに行き、日系人が経営するサロンで1週間ほどインターンの仕事をさせてもらったそうです。

当時は卒業後すぐに外国に行き、そこで働くことを真剣に考えた時期があったそうですが、そのままではアシスタントとしての採用になると、それはまだハサミを持つことはできない職域であり、異国で衣食住を最低限整えるにはどうしても給料面で問題があるため、Yutaくんはこのインターン経験によって現実的な計画の修正の必要性を見せつけられました。

そこで、これ以降の計画を修正します。

  • 大学卒業後:アレスで正社員となって働く
  • さらに3年間で渡航に必要なお金をしっかり貯め、それを元手にして海外で働き始める

そして、アレスのオーナーのRockyさんに相談しました。

Rockyさんは彼の今後の目標やアレスでの滞在期間を理解した上でYutaくんを正社員として快く迎え入れてくれました。

Yutaくんはこのサロンの皆さんに本当に大切にされていたと思います。

もちろんまだ若い彼の真摯な情熱が一緒に働くヒトの心を動かすのでしょうけど、Yutaくん自身も、アレスの皆さんは今の自分を語る上でとても大切な存在で、本当に感謝してもしきれません!と言っていました。

美容師と英語講師、二つの経験を武器に

アレスの近隣には奈良先端技術大学院大学(通称NAIST)があり、外国人の学生や講師の先生方が利用する機会が増えていました。

当時の彼は、外大を卒業して英語が堪能、美容師として専門の知識を持っているおかげで日本語がうまく使えない外国のお客さまたちの相談に乗ってあげることができます。

Yutaくんの存在は彼らの間でたいへん好評でした。アレスのオーナーや先輩の皆さんも言葉のわからないお客様との相談のストレスから解放されることでも貴重な存在でした。

同じ頃に、イングリッシュ・マスターズでは中学・高校生を対象とした演習+個別レクチャーの新スタイルのクラスTERAKOYAの講師を探していて、Yutaくんに声をかけたところ快諾してくれたので、彼の休日を利用して来てもらうことになりました。

年齢的にもベテランの講師が多い当校で、一番若手の講師として彼はお兄さん的存在で人気を博します。

彼が大学で培った実践的英語学習の知識は、学習の仕方の迷子になっている中高生の生徒たちに新鮮で効果的なアドバイスになり、たいへん刺激になったと思います。

いよいよ夢だったフランス・パリへ

月日が流れ、アレスでフルタイムで働いて3年、その間に彼はコツコツとまじめに技術を磨き、一通りのことが一人前にできるようになっていました。

いよいよ長年の夢だった『美容師として外国で仕事する』目標を叶えるべき時がやって来た、と彼は思います。

3年の間に渡航後の軍資金を貯めていた彼は、目標地を決定しました。フランスのパリです!

フランス・パリの街並み

なぜパリなのか?と私は率直に疑問でした。第一に、パリはもちろんフランス語圏です。せっかくマスターした英語を自由に使えない国にわざわざ?

でも、彼にとってはParisなのかLondonなのかNew Yorkなのか、という選択肢の一つだった、その街固有のファッションがしっかり根付いた都市で、ヘアスタイルもそのファッションの一環として常に注目されるところに身を置いて勝負したいと思っていたそうで、その中のどこかのサロンでしっかり修行を積みたい、という気持ちに変わりはなかったと言います。

そして当時、個人的には一つとして強力なコネのなかった彼が、インターネットを駆使していろいろ探した中で、他国に比べて条件の良かったところがいくつかのパリのヘアサロンだったのだそうです。

その中の一つは、2021年にインターンでパリに行った時に知り合った日本人男性が働いているサロンでした。

ここのサロンの経営者が事業拡大するから一緒に働かないか、と声をかけてくれていました。

まだまだ未知の街パリ。言葉もなかなか通じないかもしれない。その条件で日本人に理解のあるオーストラリア人オーナーと日本人の同僚がいるサロンは魅力的でした。

彼はこの話を受けるつもりでとうとうパリに飛び立ちます。1年間のワーホリを申請して、期待と不安を胸いっぱいに抱えての出発でした。

パリで待っていた予想外の展開

2025年7月、パリに到着、さっそく彼はこのサロンにて「トライアル」に入りました。彼の技術力や店舗内での対応力を見る実地試験です。

トライアル1日目が、普段通りのシャンプー、ドライなど日本でしていた仕事と同じような内容の仕事だったので、彼はきっとそれを完ぺきにこなしたと思います。

2日目はなんと、これぞパリ、なのでしょうが、ファッションショーのバックステージでのモデルのヘアセット。

目まぐるしく場面が変わり、ヘアスタイルもファッションに合わせての何秒、何分でのアレンジなので、それは彼にとってやりがいのあるおもしろい試験だったのでは。

キビキビ動く彼の身のこなしを見たからか、その日の夜のうちにオーストラリア人のオーナーはあっさり仮内定を彼に約束したそうです。

やったぞ!!Yutaくんはパリでの今後の展開に大きな安心感を得たと思います。

ところが、この快挙はすぐに暗転します。

後日、特に明白な理由を挙げられたわけでもなく、一方的に「不採用」という通知で切り捨てられてしまったのです。

でも嘆いていては始まりません。

彼にはもう一店舗、リサーチ済みの有力なサロンがありました。

フランス人の女性オーナーが経営するサロンで、パレ・ロワイヤルやルーブル美術館の近くの公園地区にあり、オーナーが親日家で日本人女性スタイリストが2名働いており、とても友好的だったそうです。

ここのトライアルでは彼の技術力の高さをたいへん気に入ってもらいました。オーナーはYutaくんを正社員として採用する気だったのですが、いざ、事務手続きの段階で、彼女はYutaくんが就労ビザを取得済みでパリにやってきたのだと思い込んでいた事が判明。

彼が即戦力になることは十分承知でも、サロンの基本方針により就労ビザのスポンサーにはなってくれない、ということが判ったのです。

ここもダメか・・・うーん、これは由々しき事態です!

彼の職場探しはあっという間に振り出しに戻ってしまいました。

Maison John Nollet Parisとの出会い

それでも、いつまでも事態を嘆いてばかりいるわけには行かない。

行動に移さなければ!

そこで、彼はパリに店を構えているサロンを片っ端から調べ始めました。たまたま2軒がダメだったからと言って、どこでもいいわけではない。はるばる日本から将来の自分の成功を夢見て、ここで頑張ろうと思ってやってきたのだから。

そしてYutaくんはとても気になるサロンを見つけ出しました。

フランス・パリの街並み

それがMaison John Nollet Paris(メゾン・ジョン・ノレ・パリ)でした。

Maison John Nollet Parisは、パリのパークハイアット パリ・ヴァンドーム内にある、フランスでもたいへん著名なヘアアーティストであるジョン・ノレが手掛ける高級ヘアサロン兼ヘアクチュールブランドです。

ジョン・ノレは国内外を問わず、各界のセレブから支持されていて、顧客には国際的に活躍するジョニー・デップやニコール・キッドマンのようなハリウッド俳優、あるいはシャラポワのようなスポーツ界の有名人など著名人も多数らしく・・・そんなサロンに雇ってもらう事ができたら、それこそ逆転満塁ホームランです。

Yutaくんは、とにかく、このサロンにしぼりこんで自身を売り込むための履歴書を作りました。そしてこのサロンにアプローチを掛け始めます。1回目、2回目―、

3回目の訪問のとき、ようやくこの会社の人事担当のスタッフに出会うことができたのですが、たまたまその方のお嬢さんが日本の大学に留学中とか、これは大きかった!

この方がYutaくんに興味を持ってくれた結果、なんとオーナーであるジョン・ノレに交渉してくれて、とにかく面接までは漕ぎ着けることができたのです!

コネなしでつかんだ大きなチャンス

さあ、ここからが勝負です。

彼の場合、確かに、こんな超一流のサロンに出入りさせてもらうために自分という人間を保証してくれる誰からのコネもありません。でもここの仕事はどうしても、どんなことをしても手に入れたい!

彼は面接で、片言のフランス語と英語を駆使して、彼の日本で美容師として認められていたキャリアと才能、そしてそれを携えて新たにフランスで仕事をすることへの強い思いを必死で伝えました。

ジョン・ノレはYutaくんに一つの機会を与えてくれました。

自前でヘアカットモデルを連れてきて、サロンで実際にカットして出来栄えを見てもらう、という実地テストです。

これは本当に自分の美容師としての才能の有無を判断してもらう絶好の機会です。その代わりそこで「こいつは才能がない」と判断されてしまえば、このサロンでの未来はありません。

Yutaくんは急ぎフリーでカットモデルになってくれそうな女性を見つけるためにパリの街に駆け出しました。

外国語大学の友達などのツテを手繰り寄せて見つけてきた素人モデルでのカットの結果は、どうやら合格点に達していたようです!

次回のテストがさらに1ヶ月後に決まりました。

2回目も同様のモデルカットテスト、果たして彼はもう一度、このカリスマヘア・アーティストにプロとしてのパフォーマンスを見せることができたのでしょうか?

Yutaくんは、この時に秘策を用意していました。それは、自分の力量をわかってもらうために無給で構わないからここで仕事をさせてほしいと頼み込むことでした。

するとテストの結果、ジョン・ノレはYutaくんに、まずは無給で1ヶ月働くことを承諾してくれたのです!

無給から始まったMaison John Nollet Parisでの日々

その時のYutaくんの気持ちを想像すると、本当に私も胸が熱くなります。

そして、本当に無給でタダ働きをする毎日が始まりました。

彼は日本で積み上げて来た専門職としての仕事だけではなく、同じ位の年齢とキャリアの他のスタッフが頼まれないような仕事を自分で見つけ出してはせっせと働き始めました。

床掃除、トイレ掃除なども全て、頼まれたものはもちろん、頼まれないことも、目についたこと、これをやればサロンが良くなること、そして仕事仲間が喜んでくれることは全て、朝から晩まで身を粉にして働きました。

実は、このサロンは今まで日本人スタッフを雇い入れたことはなく、考えてみるに、日本人のアイデンティティーの中に組み込まれているこのような働き方や気配りの仕方はたいへん珍しかったかもしれません。

そうだったとしてもYutaくんのまじめさ、勘の良さ、気遣いは並外れたものがあります。それは美容師としての才能とは別に大いに彼をアピールするポイントになったと思います。

このサロンのオーナーのジョン・ノレはフランスで高級スキーリゾート地として有名なクールシュヴェルの5つ星ホテルのシュヴァル・ブラン ホテルと業務提携をしており、ホテル内に特別なJohn Nollet専用のおもてなしの部屋を用意して、宿泊客の皆さんの一人ひとりの要望に沿ったヘアサービスを展開しています。

ジョン・ノレは、まだ見習い中の彼をこの極めて私的な大切な空間に引き入れてアシスタントとして仕事をさせたのです。

どんな仕事をさせてもらったのか、と聞くと、ちょうど年末年始の時期だったとかで、新年を迎えるためにブローしたいお客様が多かったので、ブローの予約で彼が入らせてもらうことがとても多かったそうです。

私が想像するに、おそらく彼の英語力とコミュニケーション能力を買ったうえで、彼がその語学力でジョン・ノレにとって大切な顧客をもてなし、今日はどんなことを期待して訪れているのかを判断してジョン・ノレにその気持ちを伝えて、さらにきちんとサポートできるかを試したのではないか、と思います。

無給から有給へ、そして正式採用へ

当初1ヶ月の彼の無給見習い期間は2ヶ月に延長され、3ヶ月に延長されていきました。

日本人のYutaくんがここで無給で働く場合、ジョン・ノレの会社がスポンサーになったうえで法的に日本のハローワークと同じようなフランスの公的機関を利用する必要がありました。

1ヶ月ごとの更新で、無給で働けるのはその機関では最大3ヶ月間でした。

それが終わる頃、ちょうど渡仏後7ヶ月目で彼は全ての貯金を使い切りそうになっていました。そのひと月前、当時6ヶ月目にお守り代わりに持っていた日本への帰りの飛行機便はすでにキャンセルしてしまっていました。

完全に退路は絶たれています。ただし、日本でもらってきたワーホリの期間は1年間有効、あと5ヶ月は合法的にパリに残ることができます。

Yutaくんはジョン・ノレの元でまだまだもっともっと学びたいと、必死でした。

そこで、ジョン・ノレの方から提案が出ます。

初めて、無給ではなく有給の仕事に切り替えようか、という提案。

「と言ってもまだミニマムの給料だけどね。」

それはYutaくんには飛び上がるほど嬉しいオファーだったに違いありません。まだここに残れる!そして生活もしていける!わけです。

新たな形態で、ジョン・ノレのサロンでの彼の仕事が始まりました。

もっとも、パリは世界でも有数の住居費の高い都市。最低レベルのアパートでも日本円にして家賃20万円は見ておかないといけません。それに食費。正直なところ、生活費だけでも足が出る状態だったらしく、仕事の中でいただけるチップなどで細々と賄っていたそうです。

そして、いよいよワーホリの期間終了が近づいてきました。

ジョン・ノレから新たな話があったのはそのころです。

今後ジョン・ノレの会社がYutaくんを正社員として雇ってあげるからがんばってみろ、と言ってくれたのです。

やったね、本当にやったね!Yutaくんは天にも昇る気持ちだったろう、と思います。

Yutaくんの挑戦は、まだまだ続く

このパリで、そしてこのMaison John Nollet Parisでこれからも勝負させてもらえるんだ!と新たな挑戦への覚悟に体が震えたのではないかと思います。

とにかくこれからの仕事は約束されました。

後は?まず目先の目標をがんばるしかない、と彼は言っています。

でもがんばるための切符は手に入れることができたのです。

これから先は、彼がまた自分を信じて1歩また1歩と進んでいくのみです。

Yutaくんのこの挑戦はまだまだ続いていきます。

でも今のこの時点で、彼のケースを取り上げて若い人たちが参考にしたり見習ったりすることがあるとしたら、まず「自分がしたいこと、なりたいこと」を見つける、これが最も大切な第1歩だと思います。

そしてそれが見つかったら、それをとことん追求する「覚悟」を持ちつづける、ということではないでしょうか。

彼の場合はそれが「美容師」という職業でした。そこに条件がもう一つ「国際的に活躍する美容師」というのが引っ付いていました。

「英語が喋れる」という能力は、彼の場合は武器、それを時間をかけて手に入れました。今は「フランス語」という武器の調達に取り掛かっています。

フランス語は日本人にはとても難しい言語です。それでもこの1年間でYutaくんはずいぶん聞き取りができるようになって来たそうです。

英語の学習の時も、本当に短期間で彼は英語圏で生活するのに必要なレベルまで自分を押し上げることができました。フランス語も然り、彼の未来に必ず役に立つ、と判っているから絶対に手を抜かない。彼の強靭な集中力と地道な努力で習得していくんだろうと思います。

こうやって彼の未来はきっともっと開けていくと思います。

Yutaくんが子供の頃からの目標通り、パリから始まって国際的に活躍するカリスマ美容師となって世界を自由に飛び回れるようになることを私は信じて、これからも応援し続けたいと思っています。

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